2000年4月2日日曜日

教育改革に向けて国民的議論を期待する

小渕首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」が発足し、一年後を目途に提言をとりまとめることになった。教育問題はまさに国民的な関心事だ。閉塞感が漂う現代日本の諸問題を突き詰めて行くと、多くの場合、最後は日本の教育の問題に突き当たることを考えれば、この会議での議論の行方に注目せざるを得ない。そこで三つの具体的な提案をしてみたい。ご批判を乞う。

まず第一に、義務教育の自由化である。そもそも初等教育とは親の責任でなすべきものだ。学校ごとに多様なカリキュラムを認め、学校に行かせる行かせないも含め、コースの選択は親の自由とするべきである。今の義務教育は均質の労働者、兵員を大量に養成することを目的として、国民国家の成立とともに制度化されたもので、わずか200 年の歴史しかない実験的なものだ。人類の偉業の大部分は義務教育がない時代に達成された。義務であり離脱を許さないからいじめも発生する(いじめは刑務所や軍隊とかの逃げ場のない環境でしか起こらないことに注意)。学校も不適切な生徒を放校する自由がないから、学級崩壊が多発し校内暴力がのさばる。

第二の提案は大学入学試験に口頭試問、論述試験を大幅に導入することだ。論理的な表現力は、国際社会で生きて行く上でまことに基本的な能力であるにかかわらず、日本人はこれを苦手とする人が多い。大学入試には含まれていないが故に、若いうちに十分な訓練が為されないのである。

三つ目に望みたいことは大学院教育の拡充である。20 世紀を通じて世界中ではっきり観察されるトレンドは、教育の高度化と高学歴化だ。今や欧米諸国はいうに及ばず発展途上国でも、高級官僚、大企業の幹部のほとんどがマスターやPhD なのである。ところがそのカウンターパートである日本の官僚、民間ビジネスマンはいまだに大部分が学士だ。肩身が狭いという以上に、議論のベース、ロジックが彼我で微妙に異なるためコミュニケーションに支障が出る場合があるのだ。国際機関に日本人職員が少ないのもこれが理由だ。グローバル時代にこれはゆゆしき問題といわざるを得ない。具体的にどうするかだが、まず手始めに国家公務員は修士号を持っていることを採用条件としてはどうか。そうなれば多くの民間大企業もそれに倣って院卒の採用を拡大して行くことになろう。大学院に入らねばならないとなると大学生も勉強するようになるだろう。

以上の三点が筆者の提案である。これに対して直ちに多くの反論が出てくることは覚悟している。一番多いご批判は「そういうやりかたは公平でない」というものだろう。しかし筆者には、必要以上に公平であろうとする関係者の異常な努力こそが、日本の教育を大きく歪めていると思えてならないのである。

(橋本尚幸)